ジュエルレター

ジュエルレター 2012年7月

みなさん、こんにちは。
 
先日テレビで震災の瓦礫の行方を特集していました。カナダや、アラスカに漂着した発泡スチロールなどの建築材、現在ハワイ沖を漂流中の橋げたや建物の一部、潮の流れでたどり着くであろうアメリカの西海岸の小さな町に広がる不安、驚くべき現実に深く考えさせられました。国内では、被災地の瓦礫の処分を巡って賛否両論、各自治体でも受け入れを表明したところはわずかです。それなのに、海を隔ててやってくる漂流物、明らかに東北から流れ着いた船やごみの数々の処分解体に町の予算の一年分以上の金額が必要なのです。
もちろんだからといって、日本にそのすべての責任を負うべきだと考えているわけではないのですが、この現実から目をそらしていいわけではありません。そういう漂流物がたどり着いて、浜辺や町に瓦礫として積み上げられている他の国々に、日本国内での瓦礫受け入れ反対運動はどう写っているのか、やはり考えなくてはならないことだと思います。また、広くこの現実を国民が知るべきだと思うのです。世界地図で見ると日本は、ほんの小さな島国。東北の現実は、わたしたち国民全体の現実でもあります。不幸な災害の結果をみんなで受け止めていくべきではないでしょうか。
マスコミもこのような現実を広く伝えて欲しいし、日本政府、各自治体のトップは、今こそリーダーシップを発揮して瓦礫処分の解決に向かってほしい。
 
大津市の中学生がいじめで自殺した事件、マスコミをにぎわしていますが、大変痛ましく思います。子供が自殺するほどの心に傷を受けていながら、阻止することが出来なかった親御さんの無念さはつらすぎます。
わたしも3人の子供たちを保育園、公立小中学校、高校へ行かせていたとき、何度も学校側の姿勢に疑問を感じることがありました。うちの子供たちは特に個性的だったのでいくつも問題を起こし、そのたびにわたしは学校へ出向き、謝り、頭を下げてきました。こちらが下出に出ると,自分たちはどんなに一生懸命働いているか、お宅の子供さんはそれに報いてくれない、などと言われました。わたしから言わせれば、働く人間はみんな一生懸命です。それが報われるのはほんの一握り。
また、子供の言い分を少しでも認めてもらおうと先生に反論すると、『この親にしてこの子ありだな』などというのです。
長女が小学校のとき、けんかのまきぞえで大怪我をしました。そのときの加害者は児童会長、親も地元の有力者だったので、長女の担任の先生さえ、加害者に気を使い、特にその子は受験を控えていたので刺激をしないように、被害者であるわたしたちに頼むのです。娘は、加害者の子が、わざと自分を狙ったのではないことをわかっていたので、ただ『ごめんなさい』といって欲しかっただけだったのに。私は、学校へ猛烈に抗議し、本人に謝らせて欲しい。その子のためにも自分でしたことの責任を取らせてあげて欲しいといい続けました。おかげでうるさい親とのレッテルを貼られました。
でも、自分がどういわれようと、子供の傷ついた気持ちを見逃すことに比べれば、たいしたことではありません。そして子供は、どんなときも必ず親が守ってくれるという安心感を得ると思うのです。だからといって甘やかして言い訳ではありません。実際にうちの子供たちは、よく先生たちに殴られていました。今なら問題だよねと笑い話になるほどですが、殴られるだけの理由を本人たちも納得していたので、それが問題になったことはありません。先生の愛情を感じていたと思います。
 
わたしたちの社会では、いつの時代でも「いじめ」や「格差」は当たり前のことなのです。どんなに親が守ろうとしても一歩外に出れば避けて通ることが出来ません。学校や教育委員会が『いじめはありません』ということが、大嘘だということをほとんどの大人が気づいています。ですから、自分を救うのは自分の心にあるということを親が子供に、言葉ではなく姿で教えるしかないと思います。
 

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