ジュエルレター

ジュエルレター 2016年1月

みなさん、こんにちは。
 
 今年になって私の車のナビが新しくなって、それがなかなか優れもので、朝エンジンをかけると「今日は1月○日、××の日です」というのです。それも、朝1番にエンジンをかけた時だけなのです。その××の日というのが「えっー」というのが多くてびっくりポンなんです。例えば「玉の輿の日」とか「中華まんの日」今日は(1月26日)は「有料駐車場の日」でした。初めのころはうるさいと思い、そんな日どうでもいいじゃん、と悪態ついていたけど、そこはすぐ影響されてしまう私、毎日聴いてるうちに、つい、「今日は何の日?」と真剣に聴いちゃったりするから不思議です。ほんとに今の機器は親切ですよね。ナビも、夕方になると「ライトを確認しましょう」、運転が長く続くと「少し休憩しましょう」など言ってくれるのですから。こういうことってやはり日本人の発想なんでしょうか。家の電気製品も作業終了時やエラーが出た時など「ピコピコ」とか「ピー」「プーッ、プッ」とそれは親切に教えてくれます。お風呂もお湯がいっぱいになると教えてくれます。おかげでどんどん横着になっています。
 
 ベッキー騒動やスマップ、そして甘利さんの記事と、このところ、センテンススプリング・・じゃない「週刊文春」が大活躍しています。記事が出た後のネットも熱くなっています。今の時代、プライベートなことでもすぐに公になってしまい、名前の出ている人は大変だなぁと同情しつつ、野次馬根性がうずきます。しかし、ごくプライベートな場所で、内輪の人たちだけと話している言葉などがそのまま公表されてしまうことにすごく嫌な感じがします。私たち凡人は、家族や友達との会話でかなり言いたい放題のことをしゃべっています。しかし、それはいわゆる「オフレコ」という安心感の中で、お互いがバカ言ってらぁと承知しているから言えることで、例えば日記が他人に読まれるとは思っていないで、きわどいこと書いていることもあるように、まさか公になるとは思っていないから言えることで、それがそのまま暴露されてしまうのはとても怖いことです。誰に心許せばいいのか不安になります。 
 私のような不用心な人間は、とても芸能界にはデビューできないとつくづく思いました(?)
 
 小学生の孫が、学校で百人一首をやっているようで、今一生懸命覚えています。私も一緒になって上の句を読んだりしながら改めて百人一首を見ていると、今になってわかる素敵な歌がたくさんあります。私は小学生の頃は、百人一首といえば「坊主めぐり」しかしたことがなく、歌を覚えようなんて考えたこともありませんでした。大人になって、京都や奈良に行くと
 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
などの歌に出会い、全部覚えたいなと思いながらもそのままになっていました。
 ところが、孫が覚えるために書いた一覧を読んでいると、一度は聞いたことがある素敵な相聞歌がたくさんあり、改めて和歌の世界に魅せられてしまいました。小野小町の歌など、美人の辛さをよく表していて面白いのです。
 花の色は 移りにけりな いたづらに 吾身世にふる ながめせしまに
 (花の色があせるように、私の美しさもすっかり色あせてしまいました、トホッ・・)
学生時代の古典の授業はとても退屈でつまらなかったのに、題材となる和歌や源氏物語などの小説はなんて面白いのでしょう。今は毎日ワクワクしながら手帳に挟んだ歌を口ずさんでいます。
 
 いま、不動産はどんどん中心地に利用が集約され、地方やわが横須賀市でも中心地から少し離れた不便な土地はなかなか利用者がいなくて、相続財産としても相続人が持てあましてしまうものがたくさんあります。不動産は資産ではないと思うのはこんな時です。稼げる不動産、利用者がいる不動産は資産となりますが、それ以外のものは固定資産税がかかる分だけ負債のようなものです。ですから、発想を変換することも大事だと思います。自分の持っている処分したい資産がそういうものであったら、プラスの資産なのかマイナスの資産なのかよく見極めることが必要になってくるでしょう。不動産を持っているだけでお金になる時代はもう2度と来ないでしょう。ただし、物件によっては、その不動産を利用して夢をかなえることはできると思います。それが社会貢献に結びついたら素晴らしいことでしょう。お金を得る以外の満足感を得られる・・・。税金などの問題がなければ、そんな考えに同意する人は多いのではないでしょうか。行政にも考えてもらいたい問題だと思います。

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